L’InstantNat rouge 2023 ランスタンナット・ルージュ
Godille 2023 ゴディル 白
Dame de Onza Heures 2023 ダム・ド・オンザー 白
Euphrosyne 2023 ウーフロジン 赤

訪問記 秘境での挑戦

妻Audeさんの生まれ育ったDesaignesという村で21年からワインを造り始めたジョナサン。もうここで暮らし始めて5年になる。
本人はヴィニュロンという認識はなく自分たちを農家だという。
もともと山羊や馬の農場だったその場所で、馬を売ったり、食用の羊を飼い、草を食べさせたりして、動物と環境を共有している。
現在18ha所有する土地のうち2.5haに葡萄を植えている。少しずつ植樹をしていて近い将来、総生産量は1万本程度になる予定。
2022年初ヴィンテージに仕上がった600本は地元の人たちへ販売する。

土地は花崗岩が風化した場所。粘土や石灰も混ざる。
630mある標高も大きく影響しているが、土が酸性でミネラルが豊富なことから南らしからぬ冷涼感をワインにもたらしている。
ヴァランスからその村まで距離にすると35キロから40キロだが車がギリギリ通れるような険しい山道を激しいアップダウンを繰り返しながら進まなくてはならない。
思った以上に時間を要した。
永遠にたどり着けないと思えるような不安を途中何度も乗り越え辿り着いた場所はまさに秘境。なんとドメーヌは国立公園内に位置していた。

醸造学校に通っていたときにエルヴェスオーで研修をする。
とても勉強になったが、14haを管理する大変さも同時に経験し、自分はもっと小さい規模で葡萄を栽培していきたいと思った。
また、ボルドー液を撒かずに畑を管理している。そのため土地をビオディナミゼするために施さなきゃならない作業がとても多い。
畑は急な斜面に点在するため、作業は過酷を極め、広域ではとても管理しきれない。
今は両親や奥さんに手伝ってもらいながら、ほぼ一人で管理しているが、馬の調教師であるAudeに来年からは本格的に畑仕事を手伝ってもらう予定だという。
プレス機は1Km離れた生産者に借りている。
醸造所は今年中に完成する予定。「イマジネーションを広げて見てください」と、未だ更地のその場所を案内してくれた彼は、恥ずかしそうにはにかんでいたが
キラキラと輝かせている目の奥は希望に満ち溢れていた。

植えているのは、ピノ・ノワールとピノ・グリ、ガメイ。
小さなキャタピラーと手作業で畑作業をこなす。
それぞれ点在しているが、一番高い場所に植えているピノ・ノワールは東向きの区画。2019年に植樹しコルドン仕立て。
あまり耕すと土壌が温まるから冷涼感を保つために4月末まで放っておくと言っていた。

南向きのピノ・グリの区画はピノ・ノワールよりも下に位置する。
房が大きく育ち収穫量も多くなるから調整のしやすいギヨ仕立てにした。
生え残ったいばらに何度も足を引っかけて転びそうになりながら区画と区画の間を移動した。
これでもだいぶ整備したという。いばらが背丈ほどに生え茂っていた状態を改良し、野草や野花などは残し自然に整えた。
昔は、葡萄栽培をしていた人たちが、ちらほら居た土地だったが、過酷な労働と高齢に伴い、その数は減っていき、農地放棄の末いつの間にか荒れ地になった。
そこでまた昔のような土地を蘇らせようと10年前に村のプロジェクトで復活を試みた。
その時に召集された一人が、長い間ダールエリボで働いていた馬引きの名人レイモンさんだった。
それでもまだ、この土地で葡萄を栽培しているのはジョナサンを含めて片手にも及ばない。
今後この場所でワイン造りを始める仲間が増えることを望んでいるという彼は、実際に自分がワインを造り始めて、この土地の可能性を大いに実感している。
21年は雨が多かったけれどボルドー液をまかずしても全く問題なかった。この土地の持つ力を周りに伝えていきたいと言う。

ガメイは一番下に位置する区画と一番上に位置する区画に植えた。
一番下の区画はゴブレにした。上の区画は植えたばかりだが朝日を燦燦と浴びる場所だから、きっと力強いキュヴェになる。
ただアルデッシュでは稀な標高の高さ630mは想像以上に風が吹き抜け寒暖差が激しい。葡萄がどんなに熟しても野暮ったくなることがない。

訪問記 ドメーヌの歴史 そして ローラン・ロジエール という人。

ワイン生産者としては大先輩であるフレデリックと「Amis Comme Cochons」(遊び仲間)だよと言えるほど対等な友人でいられるのは、彼からのバイク仲間としての尊敬があるからだろう。
栽培においてもフレデリックから買い葡萄のオファーを受けるほど厚い信頼を得ている。
最近は自身のドメーヌに葡萄を優先するためフレデリックには近隣の信頼できる別の栽培者を紹介している。カーヴを建築したのはフレデリックのカーヴを建てた建築家と同じ建築家だ。
2010年に建設をしてから少しずつ必要なマテリアルを揃え、2022年には増設をした。
良いワインは良いブドウと畑で造られるという原則に基づき、収穫を尊重し、ブドウがその力を十分に発揮できるような機能的なセラーを設計した。
断熱性に優れ、土着酵母のみを使用する発酵に、最適な温度管理をかなえる冷蔵装置を備える。
温度管理を徹底するために醸造にはステンレスタンクを使用している。
非の打ちどころのない衛生管理のなか、ワインは一切の添加物を加えることなく醸造・熟成される。

祖父が土地を手に入れたのは1968年。
その頃に植えられたカリニャン、サンソー、グルナッシュ、シラー、グルナッシュ・ブラン、ユニ・ブランの畑にはテロワールが持つポテンシャルを大いに感じたが、それから37年後、畑を引き継いだローランは、樹齢55年の古木を残し、ストレスを与えないよう、ブドウの成長を止めずに自然に生育させるため、大規模な仕立て直しを行った。
彼の哲学は、"トリック "を一切使わず、亜硫酸もほとんど使用しない、テロワール主導の本物のワインを造ること。
最近ではビオディナミ農法に移行しつつある有機農法で、耕作、処理、すべての手作業(剪定、除芽、葉摘み、棚仕立て、収穫)は月の暦に従って行っている。
厳しい剪定によって、ブドウの木とテロワールとの完璧なバランスを保つことが重要だと考える。手摘みで収穫をし、良いものだけを残すために細心の注意を払って選別をする。
フェノールが熟した状態で収穫することに拘っているため、2回に分けて収穫する区画もある。
2008年の初ヴィンテージ以来、ブドウの木とテロワールに耳を傾ける”職人的生産者であること”を大切にしてきた。
そんな彼の野望はただ1つ、「ワインを手に取ったすべての人に最大限の喜びと感動を与える」こと。(2023年10月)

訪問記 温かい家族

アルチュールは英雄アーサー王と同じ綴り。
エチケットにはアーサー王にかけて葡萄の房の上で剣を持ったアルチュールが風刺画として登場している。心根の優しいアルチュールには剣ではなくアカシアの方が「らしいわね」と母親のエレーヌは茶化していた。(※アーサー王とは「アーサー王物語」で知られ古くから伝説の英雄として語り継がれている人物。)

ドメーヌを訪れたとき、迎え入れてくれたのは父親のジャン・フランソワだった。

アルチュールの父親でブリュノ・シュレールの従兄弟。彼自身が偉大な生産者である。
息子アルチュールが譲り受けた畑を出来る限り隈なく丁寧に案内してくれた。
息子が手に入れた畑がどれだけ貴重なものか彼が一番理解している。

ドメーヌに戻ると、敷地内で楽しそうに話し込んでいた若者たちが居た。
その中の一人がアルチュールだった。
まだあどけない雰囲気をまとったその青年は恥ずかしそうに挨拶に応えてくれた。
そのあと、料理上手と評判のエレーヌの手料理を皆で頂いた。
あまりにも温かくて美味しいエレーヌの料理は感動的だった。
家庭的な雰囲気のなか席が隣だったアルチュールにいくつか質問をさせてもった。
途中、両親から、アレを取ってこいとか、アレ持ってきてとか、頼まれる度、話を中断し
文句も言わずに直ぐに席を立って言いつけに従うアルチュール。
なんて素直で優しい子だと感心した。質問にも、ひとつひとつ真剣に丁寧に答えてくれる。
とにかく純粋で真っすぐ。それがアルチュールという人。だと思った。

エレーヌが茶化した`アカシア`というのには理由があった。
アルチュールの趣味が、近所の森を散策しアカシアの木を集めることだったからだ。
木のアーティスト。と両親は楽しそうにそう言った。
集めたアカシアの木をつかって家族のためにベンチや家具を作る。
アルチュールが6歳のとき、交通事故に遭った話を母親のエレーヌがしてくれた。
いま元気に生きていることが不思議に思えるほど大きな事故だったという。
それが原因で左足の長さが6cmも違ってしまった。
エレーヌの話を聞いている間、当時の両親の気持ちが痛いほど伝わってきて、胸が苦しくなった。その後、大手術が成功した結果、今うまく歩けている。元気に畑仕事が出来ていることが奇跡のようだ。

子どもは大きくなっても、小さい頃の、一番可愛い頃の思い出を親はずっと忘れない。
あまりにも可愛いかったから、よく思い出す。だからいつまでも忘れない。
その頃に、あまりにも辛い思いをさせてしまったと、言わないけど両親の気持ちが伝わってきた。大切な息子は、ずっと大切だ。その愛情を素直に受けたアルチュールは、本当に真っすぐに、いま自分の道を着実に進んでいる。

アチュールがワイン造りに興味をもったのは中学生の時だった。
その頃から家の向かいにドメーヌを構えるピエール・フリックや、パトリック・メイエ、シュレールの畑を手伝っていた。
父親のジャン・フランソワも物心ついた時から父の仕事を手伝っていたという、実家は栽培農家だった。 
自分が自然に畑の仕事を手伝った経緯と変わらず息子のアルチュールも畑仕事を苦だと思わずに取り組んでいる。
そのことにジャン・フランソワは嬉しい気持ちで見守っているようだ。
自分よりも良い畑を手に入れた息子に対して悔しそうな素振りをするが、内心嬉しいというのが顔に出てしまっている。

アルチュールが取り組む区画は以下の通りだ。
①Jean Baptiste Adamから譲り受けた0.65haのオーセロワ、ピノ・ブラン(樹齢 50-60歳)が植わるKiostermattという区画。
湿度が高く乾燥しない土地だから、ペティヤンやクレマンに適しているよう。2004年からビオディナミ。 アルチュールは2023年から所有。 隣りはブリュノシュレールの畑(ⅢKLトワカーエル) 。譲り受けたときシュレールと半分ずつ分けた。
②0.2haのピノ・グリ(樹齢25歳 )が植わる景色の素晴らしい区画。アルザスの冷涼な地域にして標高は400mある。2,3年後までにテラスをつくる予定。
③Pfersigberg/HoernleというGCの区画。 シャンデゾアゾー(シュレールピノ)の隣り。2023年から所有。真下にシュレールのアッシュリースリング。ゲヴェルツにしては暑いから辛口に造るのが難しい。今後グレッパージュ(根を残したまま)ピノ・ノワールなどに変える予定。ここだけ石灰質土壌で皆が欲しがっていた区画。
④ボーレンベルグ(地区名)。0.25haプルミエクリュ。アルザスの中で一番雨が少なく乾燥している。生態系保護区域。プレートがぶつかって溝になった部分で表土が深い土地。

これからがとっても楽しみなアルチュール。期待を込めて精一杯応援していきたい。(2023年4月)

訪問記 再会

フランスとの出会いは2012年3月に開催されたBeaujolaiseというサロンだった。
初お披露目だったのか?参加していた彼女は一躍時の人となっていた。
ロックスターのような身なりをした女の子がとんでもないワインを造ったと。
20代前半だった彼女はボジョレーの父といわれるジャン・クロード・ラパリュの弟子として華々しいデビューを果たしていた。
あれから10年、3人の子供と生まれ故郷であるサヴォワに移住することを決意する。
ボジョレーでは、キュートな容姿とは裏腹に急斜面の区画を含む6ヘクタールもの畑を一人でエネルギッシュにこなしていた。
その頃の彼女を一言で表すと、まさに「エネルギー」!!!
持前のセンスをもって力強さと繊細さが共存する魅力あふれるワインを次々とリリースした。

サヴォワに移り住んだ理由は色々ある。
アルプス山脈に囲まれた素晴らしい環境で子育てをすることもひとつだが、人生にはリセットしたいと思うタイミングはあるもの。
彼女の男前な性格と潔いキャラクターに奥深い優しさと肝っ玉かあちゃんのような明るさが加わったその姿をみても悟るものがある。
カーヴを訪問した時、近所の住民がどこからともなくワインを買いにやってきた。皆、彼女のファンである。地元の名手さながらのおじ様たちを受け入れ、冗談を交えテンポよくさばいていく。そんな空気感が心地良い。皆を笑顔にしていた。

ボーヌの醸造学校に通いながらラパリュで研修をしていたとき、急に一つのキュヴェを任せられた。その時に欠点も良いところも全ては自分次第ということを学んだ。
だから、買い葡萄でも収穫のタイミングは全部自分で決めている。
ボジョレーでは一斉に始めていたが、ここサヴォワでは収穫のタイミングは区画ごとに待って行う。その期間の幅は、およそ2か月にも及ぶ。

瓶詰めしたばかりの2022年ヴィンテージを試飲させてもらっているとき、今後はジャー(アンフォラ)を少しずつ増やしていきたいと彼女は言った。
まさに!フランスが醸す液体は、ジャーにとても合っている。
品種の個性と向き合って、出来るだけピュアに表現したい彼女には、当然の選択のように思えた。

試飲が終わると、地元の人達で賑わうビストロへ食事に行こうということになった。
彼女のファンたちも一緒だ。
そこで、包み隠さず、正直に語ってくれたワインへの想いや自身の歴史。

潔く大胆に見えるが、細かい気を遣える繊細で優しい人である。
細い身体で子育てをしながらでは想像以上に大変だろうが、堅実に一生懸命、この地で改めて生産者としての道を進む決意をした。
話を聞いていたら、全くそんな苦労は感じさせないが、彼女を応援したい気持ちでいっぱいになった。
帰り、同じ想いで彼女を支えているであろう地元の名手たちが、もう一杯ご馳走させてくれとなかなか帰してくれなかった。
デザートまでご馳走になり、おなかがはちきれそうになった私たちを、彼女は申し訳なさそうにウィンクしながら解放してくれた。
私たちを見送り店に戻るその華奢な後ろ姿をみて、逞しさと、新たな挑戦への覚悟を感じた。(2023年4月)

franceピンSavoie【サヴォワ】

美しい森や湖と言った自然が豊かな地方であり、スイスとイタリアの国境、アルプス山脈の麓に位置します。北を レマン湖 、東から南を アルプス山脈 、南東部をシャルトルーズ山地、東を ローヌ川 とギエール川に囲まれていて、西ヨーロッパ一標高の高い(4810m)モンブラン山地の一部が含まれます。
葡萄畑は、スイス国境のレマン湖畔から、ローヌ河沿い、イーゼル河沿い、アルプスに繋がる山岳地帯の中の標高200~500mのところに点在しています。3つのAOC地区(シニャンChignin、アプルモンApremont、ジョンジューJongieux)を含む全20のブドウ生産地区から成り立つ土壌は、石灰岩に泥灰土、それに氷河が運んだ沖積土が混ざっています。アルプス山脈の中心という比類なき地理的条件を反映し、山岳および大陸性の厳しい気候の影響は受けますが、湖や河川で和らげられ、夏と秋には好天に恵まれ葡萄が良く実ります。とはいえ総体的に厳しい気候なので、それに耐えうる地方特有の固有品種が選ばれています。山間のミクロクリマが織りなすワインは、総体的に酸がフレッシュで、みずみずしさの中にフィネスとしっかりとした旨味があるのが特徴。料理は、イタリアの影響下にあったため、パスタなども良く食卓に上がりますが、チーズ料理のフォンデュやタルティフレット、トム・ド・サヴォワなどがワインと相性が良く、とても愛されています。

franceピンLanguedoc【ラングドック】

ラングドック(オック語: Lengad'òc)は、フランス南部の地方名で、元々は13世紀にフランス王領に併合されたオック語地方を指す名称。西北からガール県、エロー県、オード県、ピレネー・オリエンタル県を跨いだ広範囲の産地であるために、土壌も多岐に渡ります。海沿いの地域は砂質、石灰質、粘土質で、山側の地域はシストと呼ばれる結晶片眼、泥灰岩、玉砂利などが広がっています。東に位置しているプロヴァンス地方と同様、その多くが典型的な地中海性気候ですが西部では海洋性気候の影響も見られます。夏は雨がほとんど降らずに乾燥しており、冬は穏やかな気候です。トラモンタンと呼ばれる乾いた冷風がブドウ畑を乾燥させ、病害から守ります。 主要品種は、白ブドウがグルナッシュ・ブラン、ブールブーラン、ピクプール、クレレット、ヴェルメンティーノ、マルサンヌ、ルーサンヌなど。また、主にフランス北部で栽培されているシャルドネや、スペインワインに多く使用されるマカベオ(マカブー)も栽培されています。黒ブドウはグルナッシュ、ムールヴェードル、シラー、カリニャン、サンソーなど。温かい気候を好むブドウ品種が多く、味わいは、まろやかでふっくらとした果実感と、やわらかい飲み心地が特徴です。